面白ネタ:シーランド公国 〜〜巨星大地に堕つ。そして、光輝く公国〜〜

昨日、色々思うところがあって、1人でスキー行ってきた深津です。

1人でやるスキーは、楽しかったです。


またやりたい・・・・・



そして、中断していたシーランド公国ネタ、ようやく本編の最終回となりまして、
過去5回の長きに渡っての長期連載もこれで終わりです。


第一話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html

第二話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_57.html

第三話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_8.html

第四話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_20.html

第五話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_21.html





私は仕事の合間に何やってるんでしょうかね・・・・シーランド研究の第一人者にでもなろうとしてるんでしょうか(汗




・・・・・・・




火災によって焼け焦げたシーランド公国を普及する為に多額の費用を捻出したロイ・ベーツ。

その埋め合わせとして、シーランド公国の譲渡(売却ではない)と言う手段に出ますが、失敗に終わります。

しかし、ここで諦めないのがシーランド公 パディ・ロイ・ベーツ。



第一弾として、譲渡失敗と同じ2007年に






映画会社に自身を売り込んで(実際の所はわからんけど、そうとしか思えん)







シーランド公国の映画を作成する段取りになります。





当時の日本語ブログの情報・・・・・



題名


「Sealand」





監督

マイク・ニューウェル

代表作


「ハリー・ポッター 炎のゴブレット」(!!)



(大物釣り上げたなオイ!)



内容



建国者ロイ・ベーツの活躍を描いた作品





公開






2008年の予定。




聞いた事ねーよ!!



実際、どうなったのか続報が見つからないのでわかりませんが、多分作品化されなかったんではないかと(汗

映画作成だってお金かかりますし。

詳しい事をご存知の方、情報求むって所ですが、映画化が決定したという所から何の情報もないので、多分失敗に終わっていると思います。


映画化は失敗したと思われるものの、この頃から(多分そうだと思う。詳細が不明)現在のシーランド公国主力産業と言われている事を始めます。





それは









爵位の授与




です。





早いこといえば、男爵とか公爵とか、爵位を売っていただけます。







しかも気軽に。





どこで買えるかって言うと・・・・・











シーランド公国の公式HPがありまして(滝汗)






ここで通販感覚で購入可能。



↑販売画面のスクショ


クレジット払い可能・ご丁寧にIDカードの発行も可能(有料)という至れり尽せりぶりだったりします。

シーランド公国の市民権・パスポートは32,000円・男爵は5,000円。子爵・公爵も売って頂けます。

完全にジョークな一品ですが、日本の著名人も購入されている方がいらっしゃいます。

有名な所では

・西川きよし

・三村マサカズ

この二人は番組内で購入していますので、間違いないと思います。



これって、長きに渡って、執念で生き残ったから出来る技だったりしますよね・・・・

壮大なジョークとして存在し続けたから、面白がって買う人も結構いると思います。

現に、私はこのコラムを作っている最中に、弟(いろいろあって今部下)から





「兄ちゃん、






男爵買いなよ。







バロン深津ってかっこええやん」


と言われ、(男爵はバロン)






「アホ!






デューク深津の方が格上だわ!!


(公爵はデューク)





バロンはお前が名乗れ」







っと、ネタで買っても良いかな的な会話をしていたり(仕事中に何やってんだオイ)します。




あ、

バンドでなんかの罰ゲームで誰かに買わせるのも良いですね。

バンマスなんて、バロンNakayama・・・・・

何気に当バンド、最初のライブから現在まで一回もライブを休んだことがない、あんちゃんKobayashi氏を賞賛する為に最高峰の称号をつけるのも良いかも。

その際は、デュークKobayashi・・・・




二人とも強そう(オイ





(シーランドで検索して、このブログにたどり着いた方へ。

このブログは、名古屋のとあるアマチュアバンドのHPの1コーナーであり、元々バンドの広報や、話題を提供する為に存在しています。(全然関係ない話の方が多いという事は認めます。)

シーランド公国やその他関連情報を提供するブログではありません。

ですので、いきなりバンドメンバーや関係者の名前が出てきたりします。

悪しからずご了承ください。)


そんなわけで、この爵位の販売は結構な収益になっているようで、なくなった私財のいくばくかの補填にはなったようです。



そうこうしている内に、2012年、ロイ・ベーツ公死去。


ご冥福をお祈りいたします。



激動のシーランド公国の国家元首の死去は、ご家族と一部のマニアは悲しみに打ちひしがれた事かと思います。

巨星大地に堕つ・・・・・そして、若き頃に、イギリス海軍にライフルぶっ放した息子のマイケル・ベーツが新しい2代目のシーランド公となり、現在に続く訳です。


マイケル・ベーツ公
・・・・・楽しそう(汗


爵位の販売とかしちゃったから、多分引くに引けなくなったのだろうなっと(汗






私は、こんなギャグみたいな事を繰り返しながら生き残ったミクロネーション・自称独立国家を他には知りません。

ミクロネーションや自称独立国家の末路というのは、悲劇に終わる事も多いというのに、この明るさは何なのか。

それは、一見メチャクチャなようで、行動力と柔軟さと笑える勘違いに満ちたロイ・ベーツ公の人柄と、その息子さんであるマイケル・ベーツ公の、父親へのリスペクトがあるがこそっと思います。



シーランド公国は、一部の人に鮮烈な記憶を残し続けます。シーランド公国の事は、私の中で死ぬまで記憶として残るでしょう。

ありがとうシーランド。

こんなどうでも良いような事で、(こんな長編だというのに)ニヤニヤしてコラム作成したのは初めてだったよ・・・・・





シーランド公国よ永遠なれ!!







どうもありがとうございました。




で、おまけで次回もシーランド公国ネタとなります。

本編で言及しきれなかった話題をいくつかご紹介します。

報告:セントレア空港音楽祭

いろいろあるけど元気な深津です。

今回は、またまたシーランド公国の続きは辞めて、毎回恒例になったと言ってもいい「中の人から見たライブレポ IN セントレア空港音楽祭」なんてやろうかなっと。





辞めときゃ良いのに扉絵まで作っちゃったんですけどね私。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


今回は最初から普段と環境が違うという事がわかっていまして・・・・・

何せ生ドラムじゃない=エレドラって時点でいつもと違うと言う感じ。どんな感じになるのかわからんなーっという具合でした。


さらに当日から前日にかけて


・私の妻がインフルエンザになり、代わりに子供の行事に参加しなきゃいけなくなり、リハ・サウンドチェック欠席(汗

ホーンセクション二人がインフルエンザで急遽欠席。


という感じで、前回大阪に続いて満身創痍だった訳で。



しかも、今回の方がヒドイです。

前回は元々出れない人間には代役がいたりして、少しノリが変わる事があっても崩壊する事はないだろうっという感じでしたが、

今回は、ホーンセクションのキレを出すために必要なペットのSasaki氏と、ホーンセクションどころか、バンドサウンドに厚みを出すための要となるバリサクのSekiguchi氏が欠席です。




しかも代役ナシ。




どうすんだよコレ(汗




(Nakayama氏の「今日は出来ないかも」なんて言葉を初めて聞きましたよ)





兎にも角にも、バンド始まって以来の大ピンチ・・・・・・っという訳で、我々はそれぞれ考えました。




・Sasaki氏のパートは同じペットのおーこーち君がやる。いつもとスコアが違うけどなんとかする。

・(後で気がついたけど)テナーの2人が、要所だけバリサクの音を入れる。音程が高いかもしれないけどとにかく入れる。

サウンドチェックができなかった事を言い訳にして、ベース(私)の音量を必要以上に上げる。
さらにそこから私は勝手に高音の帯域をブーストし、空ピックの音までしっかり前に飛ぶようにセッティングして、空間を埋め尽くし、全体のバンドサウンドが薄くならないようにする

(メンバーへ・・・・・録音聞いてバキバキ音がするのはそのせいです。


っという、いつもと全く違う緊急対策を行いました。


そんなわけで、直前の対策が功を奏し、これだけ満身創痍だったにもかかわらず、録音聞いたら、サウンドとしては予想以上にまともでした。

そしてそれに加えて、Gotoさんが復帰して、今回久しぶりの鍵盤2人体制だったことが、うまく色々カバーできた要因だったと思います。



いや、他に目立つ人間がいるから影に隠れ勝ちだけど、Gotoさん本当に凄いんだって!!





まぁ


「とにかく良かった良かった危なかったわぁ(滝汗」

って言うのが正直なところだったりします。




ちなみに・・・・・

今回のセットリストは

・Only So Much Oil In the Ground

・Can't You See

・So very Hard To Go

・What Is Hip?(通常版)

っという、そう言えば、バンド結成時からやってる曲ばっかりでしたね。
(「Only So Much Oil In the Ground」は、最初のライブではしませんでしたが、スタジオではやってました。)

早いこと言えばずーっとやってる曲ですわね。


最初のライブ(もう4年以上前)と、今回のライブの両方出てるメンバーは

・Nakayama氏

・Kobayashi氏

・私

・Gotoさん

・Miura氏

の5人。



冷静に考えたら、5人もいりゃなんとかなるわね(汗



ちなみに、やったライブ全て出てるメンバーは

・Kobayashi氏

・Miura氏

の2人だけだったりします。

(リーダーのNakayama氏は前回の大阪が海外出張が重なり参加してません。

Sasaki氏は、今回のインフルエンザであえなく脱落w)




なので、概ねいつもの我々でした。

(あくまで「概ね」ね)


まぁ最初にやった「Only So Much Oil In the Ground」だけは、一昔前のムード歌謡みたいな雰囲気でしたけどね。

あの曲だけは、生ドラムでペットもう1本とバリサク必須だなーっと感じた次第。

まあ良い勉強って事にしておきたいと思います。



ちょっとItoさんのキーボードに機材トラブルがあったようですが、まあそれはご愛嬌で(滝汗

ライブやる時ってのは、どこでやったって機材トラブルはつきものです。気にしない気にしない。対応するのもプレイヤーの実力なんで。





・・・・・・っという訳で、なんとか無事に?終わらせたセントレア空港音楽祭でした。

お越しになられた方、今回スタッフの皆様、どうもありがとうございました。




あと、今回を最後にギターのタムラリアンが急な転勤で脱退となります。

寂しいものですが、

ギターの腕はいざ知らず(オイ)彼のステージでの暴れっぷり&顔で弾くそのギタープレイと

たまにろくに練習してない時があって、一生懸命誤魔化していたけど、しっかり私とMiura氏にはバレていた事・そして、そんな時はそそくさとスタジオから帰っていた事は我々の中ではずーっと語り草になる事でしょう。



またどこかで会おうタムラリアン。



ちなみに、いつも作らないのに、欠席者もいたのに、せっせと扉絵作ったのは、君のこのバンドでの最後のライブだったからだよ(マジ






後日談・・・・・・



ライブ終了後数日して、Gotoさんのお友達から「あんたら新聞出てるやん!」という連絡がありまして。

どうやら中日新聞にこのセントレア空港音楽祭の記事があり、その写真にプレイ中の我々がデカデカと(汗。

厳密に言うと、一応新聞記事や写真っていうのは転載不可なんでこの場では言葉だけで納めときます。


当日出演していたはずの、並み居るプロミュージシャンを差し置いて載ってしまいました(滝汗




それもこれも、




真っ赤なワンピース着て全体的に一人だけ異様に目立っていたTae-chanが絵になったからだと思います。



見た目って大事やね(汗

ギブソン

またまた、シーランド公国ネタの中断。

個人的に非常に衝撃的な話が舞い込んできましたので。


ギブソンという楽器メーカーがあります。



ギブソン・ギター・コーポレーション (Gibson Guitar Corporation) 

アメリカ・テネシー州ナッシュビルに本拠を置く楽器メーカー。主にアコースティック・ギター、エレクトリック・ギターを製造している。 

アコースティック・ギター、エレクトリック・ギターの他にマンドリン、バンジョー、アンプ、弦、ストラップ、ピックなども製造しており、業界において世界で極めて著名な会社の一つである。 

子会社には、クレイマー (Kramer)とスタインバーガー、ヴァレー・アーツ及びベースギター専門のトバイアス (Tobias)、ピアノのボールドウィン、エフェクター及びMIDI機器製造のオーバーハイム、ドラム製造のスリンガーランド (Slingerland) がある。 

その他関係する会社として、ナッシュビルへ移転する前の従業員により設立されたヘリテイジ (en:Heritage Guitars) がある。

その他、メンフィスにおいても、カスタム・ギターの製造・販売を行っている。 

2013年、ティアックを子会社化、ローランドからCakewalk社を買収することが報じられた。


ティアックって今ギブソンの翼下なんや・・・・・知らんかった(汗


トバイアスは、ベーシストには非常に有名なブランドで、元々マイケル・トバイアスという高名なルシアーが作ったブランドだったりします。

廉価版には魅力を感じないのだけど、フラグシップは私世代には憧れの一つと言えるんじゃないでしょうか。


まあそんな事より、ギブソンと言えば


レスポール


このタイプのギターを作成・販売した事で非常に有名で、ギブソンの名を知らぬバンドマンはいないんじゃないか?っと言うぐらいのメーカーだったりします。

ギブソンといえばレスポール。

レスポールと言えばギブソン。

レスポールがトレードマークのギタリストも多くて、

・PATA(X JAPAN)

・ジェフ・ベック(いろいろ使っていて、時代と共に変遷。レスポールを愛用していた時期もある)

・スラッシュ(ガンズ & ローゼス)

・ジミー・ペイジ(レッド ツェッペリン)

・ザック・ワイルド

・ゲーリー・ムーア


などなど、高名な方が使ってます。

そして、個人的に、テレキャスター・ストラトキャスター・レスポールが3大普遍的ギターだと思っており、その一角を担っている大メーカーがギブソンだと思っていました。





そんなギブソンが





現在




経営危機


だそうです。




http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/19/gibson2018_a_23365835/





結局の所、ギター自体の売り上げが激減していて、売り上げが伸びないという所に一つの大きな要因があって、その対処法として、楽器販売メーカーから総合音楽商社に脱却する為にいろいろ手を打ってはいたけども、路線変更したら弊害が出ちゃったという所が実際の所なんじゃないか?っと感じます。

財務諸表とか見つけれなかったんで、細かい事はよくわかりませんが、手形債権の決済が出来ないって事は、商業活動上、非常にマズイ事が起こるってのは世の常識で(汗

結局、売り上げだけでは負債が返せない→財務・資産の移動をかける→会社規模の縮小・売却っという手段を取らざるをえないってとこでしょうか。


ポール・マッカートニーが言うように、今は電子音楽が増えて、そしてギターが特別なものではなくなった=ギターが売れなくなったと言うのは間違いないと思います。

また、ギターにせよ私のやっているベースにせよ、言ったらそれまでの伝統的な楽器というものは、最終的に頼る所が、それなりに時間をかけて習得した、一朝一夕で身につけられるモノではない己の技術や感覚です。

本来、金と時間がかかるし決してお手軽なものではないんですよね。



それでも、かつては娯楽も少ないし、多くの人が楽器に興味を持ち、また嗜みの一つとして楽器を購入し、弾けるように努力をしていたと思います。


言ったら、私の父親もトランペットを吹いていた時期があり、叔父もギターを持っていたし、叔母はピアノの先生でした。

祖父は聞いた事ないですが、祖母は三味線弾いていました。

母親はピアノを嗜んでいましたし、伯母はピアノの先生で、伯父も多少弾いていたらしい。



あれ?


改めて書いてみると、私の親族って、ほとんど音楽経験があるんだ・・・・(滝汗



それが、私の兄弟従兄弟になると、多少ピアノを習っていた者はいますが、子供の頃に習っただけで、経済力のある大人になっても趣味として楽器をやり続けているのは私だけだったりします。

面白さというものがわからないと、続けられないっというか、別に楽器の面白さがわからなくても、他に面白いモノはたくさんあるわけで、元々お手軽でもないからは皆離れていく・・・・・そんな感じなんでしょう。

多分コレは世界的な潮流ってやつで、IT技術の普及・発展で、娯楽の形が大きく変わったと言えると思います。

世代や時代が変わるだけでここまで変わるのだから、そりゃ楽器売れんわっと。





(ただし、楽器が売れないのと音楽の隆盛というのはまた別の話。

今は誰でも自分の作品を世界に向かって発信できる。楽器弾けなきゃ歌えばいいんだし。)



しかし、栄枯盛衰ですね。


ギブソンが経営危機だなんて、ぶっちゃけ昨年の東芝の不正経理発覚よりもビックリしました。




っていうか、別に私はギブソン製品を何にも使ってませんが

買収前のティアックの製品は多少持ってましたけど。







これまでの歴史とこれからのバンドマン達の為に、生き残って欲しいと思います。











ギブソンの役目はまだ終わっていないと思うので。

面白ネタ:シーランド公国 〜〜世の中ゼニやでっ〜〜

今回で最終回・・・・・だと思ったけど、やっぱり後1回だけ続くと思われるシーランド公国ネタ。

第一話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html

第二話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_57.html

第三話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_8.html

第四話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_20.html




っという訳で




公国大炎上。





(消火活動中)



そんな訳で、公国は燃えました。

シーランド公国建国前の、イギリス要塞設置時から使われていた発電機から発火し、公国は灰塵に帰した・・・・ところまで行ってないですが、ただでさえ老朽化していた施設は今度こそ復旧不可能・シーランド公国滅亡(いや元に戻すのに大金かかるでしょこれ)かと思われました。



だいたい、この頃ロイ・ベーツ夫妻はイギリス本土に在住していて、シーランドには住んでません。

結局イギリスに住んでるのかよ!と声を大にして言いたいのは私だけではないと思うけども、何しろ国家元首wが住んでない時点でもうダメだろうと思う訳ですしハイ。

参考
要塞だった頃



データサーバーなんか置くからや!一般家庭の電力消費とは訳が違うってばよ!!っていうツッコミが有効かどうかは知りませんが、これにはラッキー・ライアンも面食らったことだと思います。



しかしながら、






ロイ・ベーツは諦めませんでした。






っていうか、








いい加減諦めろよ。





ロイ・ベーツ公は、





私財を投げうちシーランドを復旧。





火災の翌月には配線工事が終わり、シーランドはすっかり元通りになります。

っていうか、直すだけの金を持っていた事に驚くんですけどね私は。

やっぱり商魂逞しいんだと(汗






あーよかったよかった・・・・・これでまたシーランド公国は続く・・・・



っと思うのですが、ここからが









自称国家・シーランド公国の真骨頂。





私財を投げ打ってまで復旧したシーランド公国ですが、さすがに多額の費用がかかり、ロイ・ベーツは困窮したようで、自分で建国wしたシーランド公国を






売りに出す



という離れ技を披露します。




ただし、






あくまでシーランド公国を構成する構築物(元要塞)を売るというだけで、

主権は売らず、シーランド公国の国体・統治体系・法律は維持するという条件付きです。


しかも、主権は売らないため、売る(sale)ではなく、譲渡(transfar)としているほどの念の入れよう。









・・・・・・・・・







売れるわけねーだろこんなもん!!








簡単に言うと、家屋敷は売るけど、使用権&管理権は売らないっという意味のわからない販売形態であり、これをやるなら法律上ロイ・ベーツさんは販売後に購入した人に対して家賃払わないかんぜよ!と言う形になります。


家賃払わないと存続できない国家ってどんなやねん。


しかも一説には150億円とか、1000億円とか、1兆円とか、(実際は、当時のレートで120億円らしい)その販売価格も桁違いで、シャレで中東の王族か中国の富豪が買う事があっても、主権もよこせって話になるのは当たり前ですわね。

っていうか、シーランド公国の主権ってなんや?(汗

疑問を感じるのは私だけではないと思う。




しかしながら、スウェーデンのサーバー関連会社が手を挙げ、まさかの購入希望者登場となりますが、これ多分、シーランド公国じゃなくて、ヘイブンコー社が欲しかったんじゃないかと(汗

売りに出されたのは2007年。ヘイブンコー社の業務終了は2008年ですので。


(ヘイブンコー社に関しては、前回で詳しく述べてます。)

おそらくそういった諸々の条件が折り合わず、シーランド公国側は売買を拒絶。



以後、買い手は現れないそうです。







まずいよシーランド!


復旧にかかった費用の回収はどうするんだよ!!





っという訳で、シーランド公国は





明後日の方向に向かって収入源を模索します。



そして、ロイ・ベーツ公も、これまで積み上げてきたシーランド公国の名が、ここまで利用できるとは思ってなかったことと思います。







・・・・・・・・・・





スンマセン。


あと一回だけ続く。

面白ネタ:シーランド公国 〜〜存亡の危機〜〜

なかなか終わらないシーランド公国ネタ。




まあ


建国50年とか言ってますけど、まだ1986年の20年経った頃の話までしか終わってません。




第一話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html

第二話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_57.html

第三話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_8.html



何しろ続きます。




どうしてこんなネタやろうと思ったんだろう(汗



1986年、最大の危機と思われたイギリス領海拡張を乗り越えたシーランド公国っていうか、もうイギリス政府も面倒臭くて放置したって感じなんですが、とにかくシーランド公国はその存在を許されます。


あくまで存在を許されているだけで、国家としてはやっぱりどこも承認しませんけど(汗


さてさて・・・・


建国から30年が経過した2000年代・・・・・




インターネットネットの普及により、時代も変わる・・・・・


シーランド公国・・・・っていうか、ロイ・ベーツなのかマイケル・ベーツなのか、とにかく結構商魂たくましいんじゃないか?と思われる彼らは、同国にサーバーを置くことで、国家による検閲を受けない「データ・ヘイブン」を作る事を画策します。


っていうか、海賊放送局からカジノ作ろうとしたり、今度はデータヘイブンですか・・・・・


ベーツ親子、意外に柔軟です。


アメリカ人のライアン・ラッキーがシーランド公国に移住してサーバーを設置。 政府と共同で、ヘイブンコー社を2000年に設立した・・・・・




初めてのシーランド国籍の企業!!




建国30年にして初めての快挙!!


(多分、登記はイギリスかアメリカだと思う。)



同社は、児童ポルノ、スパム、悪意を持ったハッキング目的でのサーバーの使用は禁止していたが、その他のあらゆるコンテンツを許容すると告知。

シーランド公国は世界貿易機関(WTO) などに加盟していないため、国際的な知的財産法は適用されないと主張しました。 


このヘイブンコー社、実は世界初の防弾ホスティングサービス

(防弾ホスティングサービス(Bullet-proof Hosting Service:以下、BPHS)とは、匿名化されていることを売りにしているホスティングサービスのことです。

「防弾」は一般市民ではなく、サイバー犯罪者を守ることを意味しています。 ホスティングサービスは自前でサーバを所有するよりもコストが削減できるため、企業などで広く利用されています。
BPHSでは、法執行機関が手を入れられない、サイバー犯罪に対して最低限の法規制しかもたない国が利用されます。 
このBPHS上では、麻薬売買、児童ポルノなどのWebサイト運営や、DoSやボットネットワークの貸し出しなど、アンダーグラウンドサービスが提供されています。
なかには「ロシアン・ビジネス・ネットワーク」のように、BPHS業者として知名度のあるサイバー犯罪組織も存在しています。・・・・・https://www.shadan-kun.com/blog/securitynews/entry-157.htmlより一部転載)

だったっていうのだから、



シーランド公国恐るべし。



でも、ちょっとこれには暗い話もあって・・・・・

その後、(アンチウイルスソフト「ノートン」の取材によると、)コンテンツのホスティングの件で議論となり、ラッキーとシーランド政府は衝突して物別れになり、2008年にヘイブンコー社は業務を終了するのですが・・・・・


ラッキーはセキュリティ企業に転職しましたが、この企業は、件の防弾ホスティングサービスを手掛けており、イスラム過激派「IS」のサイトをホストして保護しているとして、ハッカー集団「アノニマス」から非難されているそうです。



ちなみに、このライアン・ラッキーは現在38歳。

つまり20そこそこでシーランドに入り込み、そして現在悪名高いと言われる防弾ホスティングサービスを提供するシステムを構築する訳です。


ライアン・ラッキーについてはノートンの記事に多少詳しく載っています。

コチラ→https://jp.norton.com/mostdangeroustown2/people/ryan-lackey

功罪双方ある人物のようですが、どうなんでしょう。


しかしながら、二回目のアッヘンバッハといい、どうしてこの国に関わる人間はちょっとアレなのか・・・・・・


それは建国者のロイ・ベーツがアレだからだと思う(汗



さて、そんなヘイブンコー社を翼下に置き、データヘイブン構築の為ひた走るシーランド公国。


ヘイブンコー社設立から6年経った2006年・・・・・






その公国に今度こそ致命的な存亡の危機が訪れます。







(存亡の危機っていうか、大量に電力を使うデータサーバーなんか置いたからや!!っと私は思うのだけど、)

















公国










大炎上!






公国の電気の全てを賄っていた発電機から出火したのでした。


(・・・・・・・次が最終回!・・・・にはなりません。)

Mr.BIGのパット・トーピー死去 追悼

インフルエンザで一家全滅・治ったら治ったで病み上がりでセントレア空港音楽祭なんて出ていた深津です。

とりあえず、中の人から見たライブレポはまた後日という事で・・・・・この猛威を振るっているインフルエンザの被害をもろに食らったライブだったという事だけお伝えしておきます。


で・・・・・


今回コラムは、面白ネタ:シーランド公国の続きの予定だったのですが、急遽訃報がありまして、内容を変更してお送ります。


7日(多分日本時間だと8日)、Mr.BIGのドラマー パット・トーピーさんがお亡くなりになられました。


パット・トーピーの若い頃・・・・男前

享年64歳。2014年ごろからパーキソン病を患っていたそうで、今般帰らぬ人となりました。


個人的に、少しショックだったりするんですよね。

っというのは、私がベースを手に取り、バンドを組んで活動し始めたのは18歳の頃、大学に入学した頃です。(もう20年以上も弾いてるのかよ(滝汗))

さすがに一人暮らしのアパートにそれまでやっていたピアノを持ち込むわけにもいかず、なぜか持っていたベースに持ち替え、その頃から私は邦楽から洋楽へ完全にシフトチェンジしまして、ひとまずHR/HMの世界にどっぷりと浸かる事になるのですが、最初期によく聞いたのがMr.BIGだったりします。




参考:Mr.BIG


若い頃

最近



当然、そこにはビリー・シーンの存在が大きかったのですが、ベース聞いてりゃ当然ドラムにも耳が行くという事で、彼のドラムはよく聞いていました。

彼の見た目に反して、(個人的に)泥臭いその彼の叩き方はお世辞にもカッコイイとは言えなかったんですが、正確でパワーもあり、ベースモンスター ビリー・シーンと対等に渡り合うという事で、いつしかその叩き方は「味」「個性」として認識できるようになり、好きなドラマーの一人となりました。


社会人になり、当時FUSIONにどっぷりとなってからは、Mr,BIGもあんまり聞かなくなったんですが、解散したり再結成したりという話はなぜか耳に入ってきて、その度にCD引っ張り出してきて聞いていたりしましたよハイ。




臭く言えば、青春の思い出って奴ですね。

若い頃好きだったけど聴かなくなったバンドはたくさんありますが、Mr,BIGはなんだかんだ言ってたまに聞いています。

そうでもなければこんなコラム書きませんし→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/01/blog-post_84.html



そんな個人的に思い入れのあるバンドのドラマーが亡くなってしまった訳で・・・・・




個人的には、ビリー・シーンが(年齢的に)一番先に逝っちゃうと思ったのだけど、わからない物ですね。

ドラッグやアル中の影もなかったのに・・・・・・



人はいつかは死んでしまいますが、やっぱり残念です。





・・・・・・・・・・・




良い時も悪い時も色々あったと思う。



個性の強いミュージシャン同士、反目し合った時もあったと思う。



綺麗事では済まない金の話もあったと思う。




それでも再結成してツアーをした。




震災の時も日本に来た。




もうそれで良いじゃないかと。












パット・トーピーよ永遠なれ!!




故人のご冥福をお祈り致します。

面白ネタ:シーランド公国 〜〜時代の波に翻弄され〜〜

もう、何がなんだかわからなくなってきましたが、シーランド公国の続き。

第一話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html

第二話→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post_57.html

とりあえず、この回で終わらせたかった・・・・けど終われませんでした(汗


それどころか、終話まではまだまだあり

(最初に言及したけど、このシーランドに置いては・・・・・私、資格勉強してて、試験が終わったら抜け殻のようになっておりまして。
「これじゃダメだ!でも色々やる気起きん!!」と言う感情の中、とりあえずコラムで面白いネタ探そうと言う所から始まった書き溜めです。
既に全話構築済み。

当コラムにおいて初となる長期連載となっております(滝汗

先は長いので、みなさま時間のある時にお読みください(汗






さてさて、クーデター騒ぎと亡命政府の樹立と言う、どこの20世紀初頭だ?と言う出来事が起きてから、西ドイツ政府からの外交官が来たりした後は、多分シーランド公国はそれなりに平和だったと思いますが、今度は1986年に、その存立を脅かす事態が起こります。



今度の相手はそこらの怪しい投資家とかではなく







イギリス政府です。



それまでの、冗談なのかネタなのか、本当に現代ヨーロッパで起きてる事かよ!っというかなり逝っちゃってる話とは打って変わって、真面目な話。



国際社会で、19世紀後半ぐらいから、「領海の定義とは?」「どこからどこまでが領海となるのか?」という議論が行われていて・・・・・・

それまで、イギリスを初めとする海洋国家・ヨーロッパ先進国は、狭い領海(当時の慣例としては3海里)を主張し、その他の国々は広い領海(色々。12海里と言う国もあれば100海里という国もあったそうで)を主張していて、調整がつかなかった事態が長きに渡って起こっていました。

領海が狭い方が、公海が増える→自分達が水資源獲得のために活動できる海域が増えるっという観点と、領海が広くないと、それまでの漁業が出来ない&領海が広くないと国土防衛が難しい(海上からの敵国の砲撃から身を守れない)と言う観点が国家間・・・・っていうか世界中で激突していて、結論が出なかったわけです。

それが、1980年代中盤に、多くの国が妥協して、領海12海里・経済水域200海里という事が定着していきます。


例えば200海里については、水産資源の関係で多分みなさん社会の授業で多少学んだと思いますが、この定義自体は1980年代中盤から主流となった話みたい。

日本の領海に関しては、結構面倒で、例えば津軽海峡に関しては3海里してあります。
12海里にすると、津軽海峡全域が領海になってしまい、在日米軍の船舶が領海進入する度に面倒な手続きしなきゃいけないそうで(汗

(公海であればそのような手続きは必要なくなるってことで、海峡内に公海を作るために3海里にしてあるって話。

つまり、現状、別に領海が狭かろうが広かろうがその国が設定する事なんだけど、国際慣例として領海12海里・経済水域200海里と言う事が浸透し、不要な衝突を避ける下地ができた時期と言う事で。)


そんな訳で、イギリス政府も、1986年にそれまで3海里に設定した領海を、12海里まで拡大します。




ちなみに、シーランド公国は、1968年に、イギリスの領海外の遺棄された要塞を領土として独立した訳ですが、この時の領海設定は3海里であり、12海里になると


シーランド公国は、








イギリス領海に存在する施設となります。






つまり、それまで領海外だったから放置していたのに、領海に入った・・・・つまり



1968年の「シーランド公国にイギリスの司法権が及ばない」と言う判例の根拠がなくなりました。


こんな感じ↓
https://bushoojapan.com/ さんより転載。)
黒い実線がイギリスの新しい領海線。破線がそれまでの領海線
青はシーランドが主張している領海。


シーランド公国に関する、このイギリス政府の領海の拡大については、とにかくネタとして取り扱われる事が多いのですが、本質的な所はシーランドなんて関係ない、国際社会における小難しい権利や慣例の話となります。

玉突きのようにシーランド公国にとって、極めて一方的に問題が出てきただけっていう(汗



そういう事情を知ってか知らないかはよくわかりませんが、この事態にロイ・ベーツ公はどうしたかと言うと、





なんと







国際協調や国際条約に関する事に自称独立国家として乗っかり




イギリスが領海を12海里設定に切り変わる日の直前に




「シーランド公国の領海も12海里とする!!」




と宣言し、あくまでイギリス政府に対抗します。

こうする事によって、イギリス領海にシーランド領海全てが取り込まれる事がなくなり、一部は公海に接する為出入りが自由となります・・・・・




・・・・・って、なんか書いてて欺瞞にしか思えないのは何故なんだろう・・・・





そしてどうなったかと言うと・・・・・・・







特に何もなかったようですね(汗





法規の問題を大真面目に考察すると、日本の民法162条1項に

「20年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する」

と言う規定があります。

おそらく、イギリスにも似たような法律が当然あると思われ、とりあえず各種事項を整理すると

・もともとシーランド公国を構成する構築物(以下シーランド)は、イギリス政府に大戦後に遺棄されているものである。
(確定した所有権がない・もしくは所有権をイギリス政府が持っていたとしても、完全に打ち捨てられた施設であり、管理義務を放棄している)

・シーランドはイギリス領海外に存在した構築物であり、大戦後、イギリス政府はその所有を宣言した事がなく、諸外国も所有を宣言していない。

・ロイ・ベーツは所有の意志を持って公然と、所有権の定かではないシーランドを占拠し、かなり長い月日が経過している。
(ただ、それまでの経緯から、間違いなく平穏に占拠はしていないと思う。)

・近代法というのは遡求されないのが原則だから(遡求法なんて作る国は近代国家と認めてはいけない)、それまで領海外としていて、今回領海となった海域で行われた、それまでの不法行為については、不問に付される。




っという事から何にもなかったんでしょうね。

以前のような、海軍に警告射撃するわヘリで施設奪還するわって事でもやれば別なんでしょうけど、

言論の自由が保障されているイギリスですし、ロイ・ベーツの言う事が公の良俗を乱している訳ではないと判断されれば、面倒臭いしほっとくのが一番という結論に至ったのではないかと思います。





よかったねえベーツ公・・・・・





シーランド公国はまだまだ無事だったよ・・・・・・






って、






今度は私が大真面目に考察して長くなったから次に続きます。








いつ終わるんだよこの話題(滝汗

面白ネタ:シーランド公国 〜〜簒奪と奪還・・・そしてその果てに〜〜

さてさて前回の続き・・・・・・(前回はコチラ→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html



イギリス司法の判決で、壮大な勘違いをしたシーランド公w ロイ・ベーツさん。

その勘違いからシーランド公国は自称国家として存在し続けることになります。


ちなみに、シーランド公国は人工の構築物であり、農地等はありません(そもそもテニスコート2つ分ぐらいの大きさらしいし。)

じゃあ生活必需品とかはどうしてたかと言うと、




イギリス本土で買い物してたそうです(滝汗)




全く、もうこんな建国ごっこしなくても・・・・・





そして、建国(誰かこの欺瞞に満ちた表現にツッコミを入れて欲しい)から10年ほどして、このシーランド公国で








クーデターが起こります。





1978年に、ロイ・ベーツ公はカジノの運営を計画し、西ドイツ

(若年層の方への豆知識・・・・当時は東西ドイツに分断されており、自由主義を採用していたのが西ドイツ(アメリカ陣営)・社会主義を採用していたのが東ドイツ(ソ連陣営)。
ちなみに、東西ドイツが再統一された際、東側の経済の立ちおくれから、ドイツ経済は数年に渡り停滞したと言われています。

ちなみに、現在の首相メルケルさんは東ドイツ出身。)

の投資家アレクサンダー・アッヘンバッハ(Alexander G. Achenbach)を首相に任命します。


調べてもこの辺りの経緯がよくわからないんですが、まあアッヘンバッハさんは、投資家というより山師なんじゃないかな?っと。

普通の投資家が、こんな訳わからん人達相手にせんと思いますし。



ところが、アッヘンバッハらはクーデターを画策し、モーターボートやヘリコプターでシーランドを急襲して当時のマイケル・ベーツ公子
(現在の公。イギリス海軍にライフルをブッ放した狂人。ちなみに現在はロイ・ベーツさんは故人。)
を人質に取ると、ロイ・ベーツ公を国外へと追放します。


ちなみに、当時ロイ・ベーツさん夫妻はイギリス本土に滞在中で、そこで急報を聞くことになります。


なんか甚だしく疑問を感じるのは少し置いといて

とにかくロイ・ベーツさんはシーランドを追われますが、元軍人がこれで終わる訳がありません。

英国へと渡ったロイ・ベーツ公は、




20名程の同志を募ってヘリコプターを使用しての奪還作戦を行い、これを成功させます。



・・・・・・・・




なんですかこの映画みたいな展開。





そして、この一円の得にもならないような事象になんとツッコミを入れれば良いんでしょうか(滝汗





そして、アッヘンバッハよ・・・・・





お前はシーランドに何の価値を見出したんだ?




色々な、どうでも良いようなたくさんの疑問を抱えながら書き進めますが・・・・・

さらにこのアッヘンバッハさんは、シーランド公国の国民であり、シーランド公国のパスポートを所持している(!)ということで、ロイ・ベーツ公に




反逆罪で投獄され(どこに?????)7万5千マルクの賠償金を請求されます。




(1999年1月1日のユーロ導入により、ドイツマルクは廃止。1ユーロは1.95583ドイツマルクと等価で交換。

2月1日時点で1ユーロ=136円程度なんで、

75000マルク=38345ユーロ=5,214,920円程(インフレ率は考慮しない)の賠償金となります。)




でも、ちょっと待てと。

なぜドイツマルクなんだ?

イギリスポンドじゃないと、都合が悪いんじゃないのか?

両替の手数料だってバカにならんような(汗


もう貨幣に関してもよくわかりません。





そして、このアッヘンバッハ投獄に関して、またしてもロイ・ベーツさんの勘違いを助長する事が起こります。


アッヘンバッハさんは西ドイツの国民であるため、西ドイツ政府はイギリス政府に自国民であるアッヘンバッハらの解放を依頼しましたが、イギリス政府は





海上要塞(シーランド公国)は自国の司法の管轄外にあるとする1968年の判決を理由に断り、




やむなく西ドイツは




シーランド公国へ







駐ロンドン大使館の外交官を派遣して解放交渉を行いました。







一国から正式に外交官が派遣されるという、「国際テロリストとの交渉と同レベルなんじゃないのこれ?」って言う事態に、
ベーツ公は自国が「事実上西ドイツにより承認された」ものと喜び(再び壮大な勘違い)




罰金の問題は立ち消えることになりました。




そして、このアッヘンバッハさんはどうなったかというと・・・・・・






西ドイツに帰還して、





自らを枢密院議長と名乗り







シーランド亡命政府を立ち上げます。








聞けばこの亡命政府、現在も存在していて、独自通貨・切手の発行してるって話だから何がなんだか(汗


余談1:クーデターが起こる前ですが、1976年にルクセンブルグでシーランド・ドルのコインを製作していた3人が「偽造貨幣製造」容疑で逮捕されたそうです(滝汗

しかしルクセンブルグ警察がロンドン警視庁に問い合わせたところ、シーランド公国はイギリスの管轄外(またかよ)だと言われたため、「イギリスの偽コイン」であることが立件できず起訴を断念したとか。

シーランド公国はこの1件も「我が国が独立国家である証拠」だとしているらしい(汗


余談2:シーランド公国の亡命政府は1989年に「憲法改正」(憲法あったのかよ!!!)を行い、公国としての国体は維持するものの、国家元首は空位だとして当分の間は枢密院議長が元首を代行することを決めたとか。

ちなみにシーランド公国の公用語は英語だが、亡命政府はドイツ語と英語。



現在、亡命政府の方はヨハネス・ザイガーという方が、アッヘンバッハの意志を引き継ぎ、首相兼枢密院議長を名乗っているそうです(汗


・・・・・・・・





まあ良いんですけどね・・・・みんな好きでやってるんだし、誰も死んでないし。

しかし、どうして関係者のどいつもこいつもシーランド公国に執着するんだろうか。

ますます訳がわからなくなっていきますが、シーランド公国は、この後、さらにわけのわからない事態に突き進んでいきます。







そんなわけで、次に続く・・・・って、次で終わるのか?(汗

面白ネタ:シーランド公国 〜〜その興りと建国期の苦難〜〜

今回のコラムは書き溜めだったりする深津です(汗


今回は少し変わった話題・・・・・


かつてはレンティア国家だったらナウル共和国を取り上げようと思ったけども、なんだかその国全体を貶めてしまう内容になりそうだったから辞めて・・・・


存在自体がネタである、国と称するけども国とは言えないとある「国」をネタにしようと思います。




その「国」の名は





シーランド公国



と言います。


テレビで取り上げられた事もあるので、その名をご存知の方も多いかと思いますが・・・・・

っとシーランド公国は国を名乗るが国ではない・・・・っというか国家として認定できないから国ではないと言う状態です。

ちなみに、国家として認定されるには

① 国民となる定住者がいること(恒久的住民の存在)
② 一定の固有の領土を要すること
③ 統治組織が存在すること
④ 他国と条約の締結等の外交的能力をもつこと

まずこの4要件が必要です。

そして、国際法上の観点から後ほど

⑤ 重大な国際法違反を伴わない樹立でなければならない(適法性)

と言うものも追加されています。


つまり、国民の数というより、「国民となる定住者がいる」と言う事・一定の固有の領土、つまり国土と言うものが必要・・・・ちなみに国土というものは、自然にできた島や大陸でなくてはならないと言う規定があります。

統治組織の存在・そして外交能力がある事っていうのはまあ当たり前ですね(汗




(なんかやってるうちに、「いっその事日本で一番シーランド公国について詳しいものにしよう」と、頼まれてもいないのに熱くなっていた私です。

思いの外長くなってしまい、長期連載(オイ)みたいになってますので、時間のある時にのんびり読んでいただければと。)




ちなみに、シーランド公国と言うのは





人工島?

っというものです。っていうか、この海に浮かぶ人工物がシーランド公国です。


どこにあるか?っていうと



っとなります。

なぜ、「この辺」か?っていうと、Google Mapっていうのは海上の画像解像度が低く、この人工島が見つけられなかったんです(滝汗

とにかく、国家としての要件を満たしていない訳で、どこの国も国家承認してません。

どうすんだよオイ(汗




なぜここがシーランド公国と言われるに至ったかというと、

もうね・・・・

ネタとしか思えない出来事を大真面目に真剣に行った人達の苦労というか、無駄な努力、関係者のよくわからない勘違い、各国家機関(特にイギリス政府と当時の西ドイツ政府)への多大な迷惑を元に成り立ったとしか言いようがない経緯があります。

さて、最初の経緯です。



とりあえず、WIKIOEDEIAから抜粋。


イギリスは第二次世界大戦中、沿岸防衛の拠点として4つの海上要塞と多数の海上トーチカを建設した。

これらはマンセル要塞(英語版)(Maunsell Fort)と呼ばれる。 

シーランド公国が領土としているフォート・ラフス(Fort Roughs / U1、ラフス・タワー Roughs Tower とも)は、最も北に位置していた海上要塞であり、1942年から建設された。 

イギリス沖10kmの北海洋上、ラフ・サンズ(Rough Sands)と呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が二本ある巨大な構造物(ポンツーン)を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や対空砲台などが作られていた。 

戦時中は150から300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後に要塞は放棄された。 

1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツは、イギリス放送法違反で訴えられた。

彼は当時イギリスの領海外(←ここ重要)に存在したこの要塞に目をつけ、 



不法占拠した上で独立宣言」を発表。 


要塞を「シーランド」と名付け、自らロイ・ベーツ公と名乗った。 


イギリスは強制的に立ち退かせようと裁判に訴えたが、1968年11月25日に出された判決では、シーランドがイギリスの領海外に存在し、またイギリスを含めて周辺諸国が領有を主張していなかったことから、イギリス司法の管轄外とされた。


・・・・・・

もともと、海賊放送局を開いていたロイ・ベーツが、放送法違反で訴えられたため、イギリス領海外(公海上)に遺棄さていた海上要塞に目をつけ、不法占拠して独立宣言した所から全てが始まります。


(しかし、そんなに海賊放送ってしたいものなんですかね・・・・)



ちなみに、ロイ・ベーツさんは退役してから漁師を営む傍ら、海賊放送局を開いていた訳で、結構屈強な男だと思われます。



ロイ・ベーツ公(故人)


穏やかそうなんですが・・・・・


ロイ・ベーツ公と奥様(若かりし頃)・・・だと思う。


(なんか昔の写真としてはキレイすぎるし、
妙にデジカメチックな写真なので、偽物かもしれん)


何この映画ロケのワンシーンみたいな写真(汗





でも、早いこと言えば、逃亡者ですね。

・・・・っていうか、海賊放送局ってそこまで凶悪犯罪ではないような・・・・・
(ちなみに、日本では刑法規定があって、5年以下の懲役でした(滝汗)

外国では、国防の観点から、割と刑が重いケースもあるみたい。多分、北朝鮮とかだと・・・・(汗))

そして、わかりやすく言うと、

凶悪犯罪を犯したわけでもない逃亡者が、空き家となっていた構築物を不法占拠した上で独立宣言した


と言う、おおよそ我々日本人では理解できない状態になっています。


ちなみに国民は・・・・・

ロイ・ベーツ公
ロイ・ベーツ公の奥さん
ロイ・ベーツ公の息子:マイケル・ベーツ
護衛兵(姓名不詳)

の計4名。

国民っていうか、家族とお手伝いさんっていう感じ。



(実は似たような経緯で、マンセル要塞の一角を不法占拠し、海賊放送局を設置したイギリスの方々がいらっしゃいますが・・・・・さすがに独立宣言まではしなかった・・・・・


一応、国際海洋条約からみると、公海上からの海賊無線については取り締まることになっておりますが、この条約ができたのが1993年。


シーランド公国独立宣言は1968年。




イギリス政府としても、当時は取り締まる要件がありません。




まあここまでなら、「よくわからん元軍人がトチ狂った」と言うことで片付ければ良いんですが、以後、関係者が、呆れる程真剣にこのシーランド公国に関わっていきます。




当然といえば当然ですが、建国後、いろいろなことが起こっていきます。


建国黎明期の出来事・・・・・

1968年、別の海賊放送局を運営する人達に占拠されそうになったので、元軍人のロイ・ベーツは、


火炎瓶と拳銃で応戦。



当然、物騒な話を聞いたイギリス海軍がやってきますが、ロイ・ベーツの息子、マイケル・ベーツがその海軍に対し、「シーランド公国に対する領海侵犯」(!!)と言うことで、







ライフルブッ放して警告射撃。




当然、二人は逮捕されますっていうか、親も親なら子供も子供やな(超滝汗



ですが、裁判では

「シーランドはイギリスの領海外」

「今まで(他国を含めてイギリスも)領有権を主張していなかった」

と、イギリス司法の管轄外(しかも、他の国は全く巻き込んでいないということもあった模様)で起きた騒動だとして、








ベーツ親子は釈放されました。



イギリス政府・・・っていうか司法当局も面倒くさかったんだろうな・・・・・









この判決に対し、ロイ・ベーツは





イギリスがシーランドの主権を認めた!」と主張。 





どこをどうやったらそう言う理屈になるのかさっぱりわからんのですが、とにかく壮大な勘違いをして、シーランド公国は自称国家としてその後も存続することになりました。



・・・・・長くなったので後編に続きます。




こんな話なのにw

報告:1月28日 大阪Always LIVE 後編

前回の続き。

引き続き、心のあんちゃんKobayashi氏が送ってくれた文章を、私が装飾したり画像入れたりしてお送りしております。

(前編はこちら→http://thriveonpraise.blogspot.jp/2018/02/always-live.html

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ライブレポ後編です。



さて、ここからがようやくライブ当日の話です。 


ライブ当日は前週に最強寒波が来て雪が降った影響もあり、大阪の街も小雪チラつく寒い日でした。

天候の心配と移動距離のこともあり、メンバーのほとんどが電車(新幹線)での移動となり、 集合時間は4時でしたが、雪の影響で電車が遅れることを考慮して3時にはほとんどのメンバーが大阪入りしていました。




いつもギリギリの時間にしか練習に現れないバンドメンバーにしては上出来です。  






今回の会場の梅田オールウェイズは市街地のビルの地下にあるおしゃれなライブバーです。


集合時間に中に入ると出演者でいっぱいでした。



それもそのはずソウル・ファンク系バンドなので、それぞれ5~6人のホーンセクションが普通にバンドに居て、 各バンドのバンドメンバーは10人以上が当たり前! そんなバンドが4つも揃えばお店もいっぱいになります。

今回、我々のバンド出演者は10人でしたが、参加4バンド中で一番人数が少なかったです。 (!!!!)


いつもはだいたい一番人数の多いバンドですが、所変わればですね。 


そんな大所帯バンド4っつを相手に大変なのはお店の方々です。


リハから本番まで転換のたびに大忙しでした。


その節はたいへんお世話になりました。 (美人の店員さんありがとー)  





(すごく見たかったよ美人の店員さん!)





ライブが始まると、各バンドとも華やかな演出で往年のソウル・ファンクナンバーを聞かせてくれます。


それに応じるお客さんのノリの良い事!






さすが関西!







さすが大阪! 







 我々もコール&レスポンスで大いに助けられました。


完全にアウェーですが、アウェー感を感じない暖かさがありました。

よく歌手の方々が、名古屋よりも大阪の方がライブがやりやすいと言うのがよく分かります。




(これは、並み居るプロの方もたまにおっしゃいます。名古屋のお客さんは基本的に大人しく、楽しむというより、ちゃんと聴くと言う感じらしいです。

なぜそうなるかというと、物販等を行う場合、大阪も名古屋も売り上げはそんなに変わらないからということで。)





我々の演奏については、前述の「メンバーがいつもと違う」問題もありますが、実はあまり心配していませんでした。

今日来ているメンバーが練習通りに演奏すれば、いつもの演奏になることが分かっていましたから。 


いつも通りの安定感のあるドラムをたたいてくれるMiura氏に乗っかれば大丈夫。



体は細いけど頼れる男Miura氏です。

(Miura氏、マジで体細い・・・ていうか、薄い。

余分な脂肪がついてない細マッチョな感じ。

裸が見たい方は、個人的に頼んでください。



ベースの助っ人のイトウ君も練習の回を重ねるたびに精度を高めてきてくれましたし、 テナーの助っ人の浅野さんも練習期間が短かったにもかかわらず楽譜を完全にマスターしてきていただきました。


さらにソロまで演奏していただき今回は本当にお世話になりました。


あとのメンバーはいつもと変わりませんからね。


(普通に聴く分にはいつもの我々でしたねハイ)



それでもやはり本番はメンバー全員で舞台に立ちたいな。



(ちょっと内輪ネタありライブ写真)





ただし





MCが(やっぱり)だめでした。 





当日はけっこう声を張って話したつもりでしたが、帰って録音を聞くと、 フォーカスの定まらない密度感の薄い自分の声が入ってました。 







しまった!











自分の声あまり好きじゃないこと忘れてた! 







最期になりましたが、今回お世話になりました関係各所の皆様方、今回は我々のバンドをお招きいただきありがとうございました。

たくさんの方に演奏を聞いていただけて大阪まで行った甲斐がありました。 

またライブ後に、お礼や感想のメールを送っていただきました方々様、どうもありがとうございました。

「ファンクプロジェクト601」さんのありささんに至りましては今回取りまとめを行っていただき、また録音録画まで送っていただき大変お世話になりました。

我々のバンドも今回はとても楽しませていただきました。


皆様の今後のご活躍を陰ながら応援いたします。



(あれ?最後に何かあるぞ??)




P.S. 

Fukatsu氏 

あれだけ大騒ぎした試験は爆死だったとの事、残念でしたね。 


いっその事、合格するまで試験勉強に集中してみてはどうだろうか? 

楽器は合格するまで質屋にでも入れて、合格するまでベース禁止にしたりして! 

今回、自分がMCをする事になった元凶の1つがFukatsu氏の試験だったので、もし不合格だったら恨み節を込めて合格するまではバンド専属MCオンリーとかどうかな? 








バンドのベースの事は心配しなくて良いですよ。 





同郷にイトウ君っていう腕の確かなベーシストがいますから。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


あんちゃん・・・・

最後に私宛てのメッセージ入りのライブレポありがとうございます。







でもね、







気を利かして自らMCやるって言ったのは、






別にジャンケンとかして決めれば良かったのに、MCに自ら名乗り出たのは、










あなた自身のはずなんですがw






とにかく









Nakayama氏がインフルエンザで倒れてからの取りまとめやMC、最後に




怨念に溢れる







ライブレポの作成、お疲れ様でした。

色々聞いていて、マジであんちゃん大活躍だったと思います。











ところであんちゃん・・・・・・







今回、あんちゃんのMC聞いて思ったんだけどさ・・・・・・・









他のメンバーがMCやるところ、ちょっと見たくね?(邪笑)