今回は少し変わった話題・・・・・
かつてはレンティア国家だったらナウル共和国を取り上げようと思ったけども、なんだかその国全体を貶めてしまう内容になりそうだったから辞めて・・・・
存在自体がネタである、国と称するけども国とは言えないとある「国」をネタにしようと思います。
その「国」の名は
シーランド公国
と言います。
テレビで取り上げられた事もあるので、その名をご存知の方も多いかと思いますが・・・・・
っとシーランド公国は国を名乗るが国ではない・・・・っというか国家として認定できないから国ではないと言う状態です。
ちなみに、国家として認定されるには
① 国民となる定住者がいること(恒久的住民の存在)
② 一定の固有の領土を要すること
③ 統治組織が存在すること
④ 他国と条約の締結等の外交的能力をもつこと
まずこの4要件が必要です。
そして、国際法上の観点から後ほど
⑤ 重大な国際法違反を伴わない樹立でなければならない(適法性)
と言うものも追加されています。
つまり、国民の数というより、「国民となる定住者がいる」と言う事・一定の固有の領土、つまり国土と言うものが必要・・・・ちなみに国土というものは、自然にできた島や大陸でなくてはならないと言う規定があります。
統治組織の存在・そして外交能力がある事っていうのはまあ当たり前ですね(汗
(なんかやってるうちに、「いっその事日本で一番シーランド公国について詳しいものにしよう」と、頼まれてもいないのに熱くなっていた私です。
思いの外長くなってしまい、長期連載(オイ)みたいになってますので、時間のある時にのんびり読んでいただければと。)
ちなみに、シーランド公国と言うのは
人工島?
っというものです。っていうか、この海に浮かぶ人工物がシーランド公国です。
どこにあるか?っていうと
っとなります。
なぜ、「この辺」か?っていうと、Google Mapっていうのは海上の画像解像度が低く、この人工島が見つけられなかったんです(滝汗
とにかく、国家としての要件を満たしていない訳で、どこの国も国家承認してません。
どうすんだよオイ(汗
なぜここがシーランド公国と言われるに至ったかというと、
もうね・・・・
ネタとしか思えない出来事を大真面目に真剣に行った人達の苦労というか、無駄な努力、関係者のよくわからない勘違い、各国家機関(特にイギリス政府と当時の西ドイツ政府)への多大な迷惑を元に成り立ったとしか言いようがない経緯があります。
さて、最初の経緯です。
とりあえず、WIKIOEDEIAから抜粋。
イギリスは第二次世界大戦中、沿岸防衛の拠点として4つの海上要塞と多数の海上トーチカを建設した。
これらはマンセル要塞(英語版)(Maunsell Fort)と呼ばれる。
シーランド公国が領土としているフォート・ラフス(Fort Roughs / U1、ラフス・タワー Roughs Tower とも)は、最も北に位置していた海上要塞であり、1942年から建設された。
イギリス沖10kmの北海洋上、ラフ・サンズ(Rough Sands)と呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が二本ある巨大な構造物(ポンツーン)を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や対空砲台などが作られていた。
戦時中は150から300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後に要塞は放棄された。
1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツは、イギリス放送法違反で訴えられた。
彼は当時イギリスの領海外(←ここ重要)に存在したこの要塞に目をつけ、
不法占拠した上で「独立宣言」を発表。
要塞を「シーランド」と名付け、自らロイ・ベーツ公と名乗った。
イギリスは強制的に立ち退かせようと裁判に訴えたが、1968年11月25日に出された判決では、シーランドがイギリスの領海外に存在し、またイギリスを含めて周辺諸国が領有を主張していなかったことから、イギリス司法の管轄外とされた。
これらはマンセル要塞(英語版)(Maunsell Fort)と呼ばれる。
シーランド公国が領土としているフォート・ラフス(Fort Roughs / U1、ラフス・タワー Roughs Tower とも)は、最も北に位置していた海上要塞であり、1942年から建設された。
イギリス沖10kmの北海洋上、ラフ・サンズ(Rough Sands)と呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が二本ある巨大な構造物(ポンツーン)を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や対空砲台などが作られていた。
戦時中は150から300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後に要塞は放棄された。
1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツは、イギリス放送法違反で訴えられた。
彼は当時イギリスの領海外(←ここ重要)に存在したこの要塞に目をつけ、
不法占拠した上で「独立宣言」を発表。
要塞を「シーランド」と名付け、自らロイ・ベーツ公と名乗った。
イギリスは強制的に立ち退かせようと裁判に訴えたが、1968年11月25日に出された判決では、シーランドがイギリスの領海外に存在し、またイギリスを含めて周辺諸国が領有を主張していなかったことから、イギリス司法の管轄外とされた。
・・・・・・
もともと、海賊放送局を開いていたロイ・ベーツが、放送法違反で訴えられたため、イギリス領海外(公海上)に遺棄さていた海上要塞に目をつけ、不法占拠して独立宣言した所から全てが始まります。
(しかし、そんなに海賊放送ってしたいものなんですかね・・・・)
ちなみに、ロイ・ベーツさんは退役してから漁師を営む傍ら、海賊放送局を開いていた訳で、結構屈強な男だと思われます。
ロイ・ベーツ公(故人)
穏やかそうなんですが・・・・・
ロイ・ベーツ公と奥様(若かりし頃)・・・だと思う。
(なんか昔の写真としてはキレイすぎるし、
妙にデジカメチックな写真なので、偽物かもしれん)
何この映画ロケのワンシーンみたいな写真(汗
でも、早いこと言えば、逃亡者ですね。
・・・・っていうか、海賊放送局ってそこまで凶悪犯罪ではないような・・・・・
(ちなみに、日本では刑法規定があって、5年以下の懲役でした(滝汗)
外国では、国防の観点から、割と刑が重いケースもあるみたい。多分、北朝鮮とかだと・・・・(汗))
そして、わかりやすく言うと、
凶悪犯罪を犯したわけでもない逃亡者が、空き家となっていた構築物を不法占拠した上で独立宣言した
と言う、おおよそ我々日本人では理解できない状態になっています。
ちなみに国民は・・・・・
ロイ・ベーツ公
ロイ・ベーツ公の奥さん
ロイ・ベーツ公の息子:マイケル・ベーツ
護衛兵(姓名不詳)
の計4名。
国民っていうか、家族とお手伝いさんっていう感じ。
(実は似たような経緯で、マンセル要塞の一角を不法占拠し、海賊放送局を設置したイギリスの方々がいらっしゃいますが・・・・・さすがに独立宣言まではしなかった・・・・・)
一応、国際海洋条約からみると、公海上からの海賊無線については取り締まることになっておりますが、この条約ができたのが1993年。
シーランド公国独立宣言は1968年。
イギリス政府としても、当時は取り締まる要件がありません。
まあここまでなら、「よくわからん元軍人がトチ狂った」と言うことで片付ければ良いんですが、以後、関係者が、呆れる程真剣にこのシーランド公国に関わっていきます。
当然といえば当然ですが、建国後、いろいろなことが起こっていきます。
建国黎明期の出来事・・・・・
1968年、別の海賊放送局を運営する人達に占拠されそうになったので、元軍人のロイ・ベーツは、
火炎瓶と拳銃で応戦。
当然、物騒な話を聞いたイギリス海軍がやってきますが、ロイ・ベーツの息子、マイケル・ベーツがその海軍に対し、「シーランド公国に対する領海侵犯」(!!)と言うことで、
ライフルブッ放して警告射撃。
当然、二人は逮捕されますっていうか、親も親なら子供も子供やな(超滝汗
ですが、裁判では
「シーランドはイギリスの領海外」
「今まで(他国を含めてイギリスも)領有権を主張していなかった」
と、イギリス司法の管轄外(しかも、他の国は全く巻き込んでいないということもあった模様)で起きた騒動だとして、
ベーツ親子は釈放されました。
イギリス政府・・・っていうか司法当局も面倒くさかったんだろうな・・・・・
この判決に対し、ロイ・ベーツは
「イギリスがシーランドの主権を認めた!」と主張。
どこをどうやったらそう言う理屈になるのかさっぱりわからんのですが、とにかく壮大な勘違いをして、シーランド公国は自称国家としてその後も存続することになりました。
・・・・・長くなったので後編に続きます。
こんな話なのにw
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