疲れましたよハイ。
でも、
ライブ休んでまで受ける試験ですからね。
結果はどうあれ、努力はしなくてはなりません。
さてさて
本日の話題は小室哲哉さん。
っと言っても、先日世を騒がした話ではなくて、もっと違う話。
引退しちゃうからって事で、「日本の音楽的に、彼の功績だと思うこと」を述べようかと。
確かに、小室哲哉さんは、日本の音楽シーンで一時代を築いた人です。私が学生の頃は、彼の曲が流れない日はなかったと言っても良いと思います。
音楽の好き嫌いは置いといて、私の生きている間であそこまでシーンを席巻した人はいないんじゃないか・・・・っと思いますね。
でも、個人的に思う彼の功績というのは別にあると思っていて・・・・・
私が中学生の頃、鍵盤楽器を弾いて目立っていたのは
・YOSHIKI
・小室哲哉
でした。
YOSHIKIさんは今でこそ世界の巨匠みたいですが、当時はそうでもなく、激しくドラムを叩いて、ピアノもうまいと言う感じ。あくまで自分の身につけた技術で、現存している2つの楽器を高レベルで扱っていたと言うイメージです。
小室さんは違いました。
当然、鍵盤を高レベルで扱えると言うことは当たり前として、シンセサイザーを駆使し、様々な新機軸を打ち出して行き、私は革命的だと感じました。
(ただし、作る曲としては、私はX=YOSHIKI派でしたけどね)
彼はYAMAHAが作ったEOS(https://jp.yamaha.com/products/contents/music_production/synth_40th/history/column/eos_series/index.html)のイメージキャラとなり、
ステージ上でもそのEOSを使い倒し、
TMネットワークの「名曲」と言われるものをたくさん世に送り出しました。
EOS B200
デジタルシンセサイザーである、小室さんが使っていたEOS B200&B500は各地の学校にかなりの納入実績があると聞いています。
学校の音楽の授業ではオルガンなどを使いますが、その代わりに・・・とか、吹奏楽等音楽系の部活の練習の為とかで販売されたのだと思います。
「あの小室さんが使ってるんですよ〜」っというのは結構なセールストークにもなったはずです。
当時、鍵盤楽器はYAMAHAとKAWAIの2強のはずでしたし、選択肢もあまりなかったと思うし。
ちなみに、私は中学校でB200を、高校でB500を触っています。
子供心に、音色の凄さ多様さ(まあ当時としてはね)・ピッチモジュレーションを始めとした音の変化が面白くて、同級生みんなで遊んでたんですよね。
そんな訳で「小室哲哉が使っているEOSと言う名のシンセサイザー」は、世の中の中学生・高校生に
「ピアノでもオルガンでもエレクトーンでもない、電子機器の塊であるシンセサイザーと言う鍵盤楽器」
として認知されて行ったのだと。
そして、認知が広がれば、裾野が広がるのは自明の理。
EOSを見て鍵盤楽器を志した人もたくさんいるはずです。
そして「シンセサイザーを使えば、一人でいろんなことができる」と言うことを音楽をやらない一般人のレベルまで浸透させたと言えると感じますね。
私と同世代の人間は、彼がいなかったら多分あそこまでEOSに興味を示さなかったと思う。
なので、私の思う小室哲哉さんの功績というのは、
「シンセサイザーというものを、一般人レベルまで認知させた」
という点じゃないかと思います。
まあそこには、当然時代の流れもあるだろうし、YAMAHAの国内の商業戦略もあったかと思いますが、そのYAMAHAの期待に応えられたのは、その時代に生まれた小室哲哉だけだったと言えるんじゃないですかね。
そして、彼がいたから、大好きな音楽で飯を食える人がたくさんいると思います。
・・・・・・・
そんな小室さんは、いろいろあって引退。
一連の騒動を見て、色々なんだかなあっとは思いますが、今後の人生に幸多からんことを祈ります。
おまけ・・・・
YOSHIKIとTK・・・「V2」
2人とも若いなー
0 件のコメント:
コメントを投稿