辞める理由は、音楽性の違いとか、バンドの人間関係とかではなく、純粋な家庭事情なんですけどね。
細かくは書きませんが、親がいる人間なら誰しも避けて通れない事がこのタイミングでやってきたとだけお伝えしておきます。
ただ
プレイヤーとしては脱退するのだけど、このコラムは引き続き担当するっという割と意味のわからない状態になってはいます(汗
今池遊覧のステージが終わった後、Nakayama氏(含めてそこにいたメンバー達)に
「そう言えば、コラムどうすんの?
誰か代わりにやるの??」
と聞いたら
「残しとくので、好きにして」
と即答されました。
そんでもって女性メンバー達の
「更新を楽しみにしている人もいるのだから・・・・」
と言う言葉に抗えず、引き続きやることになりました。
そんな訳で、おーこーち君だったかSekiguchi氏辺りに、
「弾かないだけで、
結局いるんじゃないですか!」
とツッコまれた気がするんですが、気にしない気にしない(オイ
今後もテキトーに更新します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どこかで書いたかもしれない、私がこのバンドをやろうと思った理由と、そしてその続きを少し。
私は大学の頃、このThrive on Plaiseと同じような、ホーンセクションも入った大人数のバンドのバンマスをやってました。
ベース初めて3年。
かつて鍵盤楽器を弾いていた事もあり、色々覚えの早かった私は、大学ももう終わりだし、卒業したらバンドできるかわからんしって事で、仲の良かったT.SAXの岩井君と言う友人と共に「岩井マグナム」と言うバンドを結成。
彼と一緒にメンバーを探し、ワイワイとやっていたのですが、そこはまだ社会を知らぬ大学生の2人・・・・・・・
バンドを組むことが先に立ち、メンバーの技量はバラバラ・メンバー同士の揉め事が起きてもちゃんとした対処が出来ない・メンバーチェンジを繰り返しているうちに方向性が定まらなくなる・・・・・といった悪循環にハマり、ライブも1回やっただけで私は卒業し帰郷・タイムアップで消化不良という形で終わりを迎えました。
で、
一曲だけTower of Powerの曲をやっていて、それが「Soul with Capital"S"」だったりします。
その時は、LIVE版のような「Oackland Stroke」を合間に入れることが出来ず
(私も含めて、メンバー達タイミングが合わんかった&今はサラッとやってますけど、実はアレ結構難しい。)
そう言った意味でもあまりレベルの高いバンドではなかったのだと思います。
大学卒業後、自分の音楽的な技量も足らない・人間性も発展途上でまだまだ未熟・つまりあんなバンドをやるにはまだ早かったという結論を出し、その後はFusionやったりロックやったり、スペイン人とJAZZ系のバンド組んだり、何故かJ-popのバンドやったりと、数えればキリがないってぐらいバンドを転々としていました。
そんな折、MixiでNakayama氏がBassのメンバー募集していたのを見つけて、コンタクトを取ってみたのがこのバンドでの私の始まりだったりします。
普通なかなか集まらないドラム・バリサク・キーボードがちゃんとメンバーにいると知った時、頭をよぎったのは
「あの時(大学の頃)の自分を超えろ。
圧倒的に」
っという、正直中二病みたいな言葉だったのをよく覚えています。
あの時のリベンジをするなら今これから始まるこのバンドなんだろうっと。
初めてオリジナルメンバーと合わせた時、果たしてこのプレイで良かったのだろうか?と思いましたねえ。
だってロッコ奏法出来んし。
(今でも出来ん)
思わず「私でええのか?」と聞いたことも覚えてますし、「ええんちゃうの?」と言われた事も覚えております。
そして、そこで会ったメンバー達は、レベルが一様に高く(一部例外もあったけどね)「これならあの時を超えられる」と思いました。
以後、私はこのバンドでベーシストとして活動することになります。
当時はアクティブメインで、BOSSのGT6Bを使いながら、広がりのある音を好んで使っていました。
今だったら、そんなセッティングじゃダメだと思うのですが、あの時はそういう意味でも手探りだったんだなーっと思います。
ボトムラインでの初ライブが終わった後、「超えた」とは思ったけど「圧倒的」ではないってのと「このメンツならもっとイケる!」と思ったのだけど・・・・・
第二子誕生でバンドにかまけている事も出来ず、Nakayama氏に、クビになるだろうと思いながら「お休みを下さい」と言ったら「ヘルパー入れて戻ってくるの待ってますわ」との返答。
なんだかんだと、ありがたい事に技量そのものは皆に認められていたのだろうな・・・・と今なら思います。
普通だったら、いつ復帰できるかわからんメンバーなんてクビですからね(汗
そして、時間を経て無事に復帰した後、自分の技量の限界を感じていた時に、今沢カゲロウという、世界的なベーシストとの友人(というかなんというか)としての出会いが私のプレイを変えました。
変わってないように見えるけども、実は大違い・自分が限界だと思っていた壁は、わかってしまえば大した事なかったって所でしょうか。
今では「まだまだ限界は見えてこんなあw」と思いながら弾いてます。
そうして、メンバー同士の呼吸もわかってきた2016年の四日市のJAZZフェスで、
・イコライジングで出音を締める
・手数を入れる
・空ピックの多様
・派手に
・バラードは歌うように
っと言う、このバンドでの私のスタイルが完成したと感じたと同時に
「嗚呼、俺のリベンジはもう終わったんだな・・・・もう良いんだな・・・・・」
と思いました。
なんだかんだとレベルの高い人間が集まっているいつもと代わり映えのしない5人のホーンセクション・ステージング重視のようで、実はバランスの取れたギタリストだった先日脱退したTamura氏・的確なプレイでサウンドに厚みを持たせたGotoさん・多少無茶苦茶なことをしても笑って対抗してくれたMiura氏というメンバーに囲まれていたから、そう思えたのだと思います。
その後は、
さらに楽しかったですねえ。
それまでは「あの時と同じじゃダメだ」と言う脅迫観念みたいな物があったのか、なんとなく「自分はコレで良いのか?」と言う後ろ向きな考えがあったんだろうと思うのだけど、それがなくなったせいで
やりたいホーダイ。
そんなベーシストを笑いながら見ていたメンバー達は、新規加入した人も含めてみんなええ人やなあ・・・・っと思います。
特に
・Nakayama氏
・Sasaki氏
・Sekiguchi氏
・Kobayashi氏
・Gotoさん
・Miura氏
の、最初のライブから一緒にやった、俗に言うオリジナルメンバーには感謝でいっぱいですねハイ。
多少寂しく辛くもあり、特にメンバーの調整とか一手に引き受けているNakayama氏にはなんか申し訳ないと思いながら、
多分今後も交流自体はなくならないと思い、
私が出演したライブに来ていただいた全てのお客様と、(過去一緒にやった人間も含めて)メンバー達への感謝を胸に一旦楽器を置く私です。
皆さんどうもありがとうございました。
でもさ
メンバーの多くから
社交辞令かもしれんけど
「またいつかやりましょう」
とか言われると嬉しいものですよ(笑
だって、
オレ、
ぶっちゃけ社長だから、
人を褒める事はあっても、叱責される事はあっても、
人に褒められる事って全くないからね(涙
まあそんな訳で、私はメンバーからは外れますが、今後もThrive on Plaiseと、この「ロッコ深津の部屋」をよろしくお願い致します。
あ、もうちょっとしたら、「中の人から見たライブレポ 今池遊覧音楽祭2018」やりますよw
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